NAMMの3日間


THE NAMM SHOW 09
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今回の渡米についてはラジオでも喋るだろうし、ツアーでもネタにすると思うけど、とにかく初めての体験だらけの実に濃い旅だったので、やはり忘れないうちに文字に残しておこうと思います。さてどこから話そうかな、、。

アメリカに行ったと言っても、レコーディングも、PV撮影も、観光も一切無いんですからね。目的はただ一つ、NAMM SHOW!なのです。“MAKOTO SAITO”と名前が印刷されたパスを胸に下げて会場に入ります。アリシア・キーズだって、ハンコックだって、クインシーだってみんなこれを下げているのです。入場の度にこれとIDをチェックされるのは面倒くさかったけれど、役に立つこともあったっけ。すれ違った男の人、ギターを背負ったちょっと髪の薄いその人物に見覚えがあったので、もしやと思いもう一度引き返して胸のパスを確認。やっぱ当たり!ザッパバンド〜キングクリムゾンのエイドリアン・ブリューでしたよ。沢山の有名ミュージシャン達がそれぞれ契約メーカーのブースにいました。そんな中、僕が向かったのはFodera社のブース。ヴィクター・ウッテンがデモ演奏している最中だったけれど、僕の心はそこにはありません。Foderaのスタッフの中に懐かしい顔を見つけたとたん、英語がろくに話せないことも忘れ、彼をつかまえて「ねえ、僕を覚えてる?」って訊いちゃった。1986年秋から半年滞在したブルックリンのアバートのオーナー(だったと思う)でもあった彼はFoderaの副社長。当時はホントに小さい工場だったけど、今や超ハイエンドなベースメーカーで日本でも大人気のブランドです。笑顔の再会でしたが、彼はホントに思い出していたのかな? そうかと思えば2日目のメインイベント「Acoustic Cafe」には旧友が家族全員でサンディエゴから車飛ばして駆けつけてくれた。大学時代、同じバンド(スーパーセーラー服)でギターを弾いていた彼は当時プロ志向で、サラリーマンになると言い張る僕によく説教をたれた。その男が現在、某超メジャー家電メーカーのアメリカ社長なのです。あべこべじゃねえか!「よし、今夜のライブはあいつを喜ばせよう!」と目標を定めた僕は、過度に緊張することも無く、3曲+1を楽しく歌ってステージを降りたのでした。終演後楽屋に訪れた彼の満面の笑みに「こりゃ大成功!」と実感。うまく行ったのはヤツのお陰かもしれないな。(つづく)1/23更新

ところで、滞在中なぜかまったく使えなかった我が携帯。設定ミスかなあ?LAXに降り立って、よしそんじゃと電源を入れてみるとまさかの「圏外」表示。えーーー!!ホント目を疑いましたよ。しかしここは男だ。潔く諦め、たまには携帯の無い日々もイイかもと、レンタルするのもやめにした。コレが大きな間違いだったのです。1日目、NAMMのどでかい会場に入る時にマーティンのディック・ボーク氏に“もしもの時”の連絡先を書いた名刺を貰ったんだけど、この紙一枚が僕を救ったのでした。「Acoustic Cafe」のある2日目の午前中、1日ぐらいはショッピングに出掛けないと海外旅行の証拠にもならないと思い、ホテル前でタクシーを拾って、運転手さんに近くのショッピングモールに連れてってと頼んだ。何を買いたいのと聞かれて、別に決まってないと答えると、だったら同じ距離でもっとイイ所があると言われ、まあ時間はタップリあるんだしそっちにしようとOKしちゃった。着いた場所は確かにでっかい立派なモールで、ここなら何でも手に入りそう。チップの払い過ぎに注意しながら「サンキュー!」と言って車を降りるてからふと気が付いた。待てよ、俺はどうやってホテルに帰るんだ? 通りでタクシーを拾えるような国じゃないもんね。ホットドックを食べてアバクロでシャツを買った後、レジの女の子にダメな英語で状況説明したら、何と親切にタクシーを呼んでくれた。ああこのコは天使だと感激し、指定の場所でタクシーを待ってたら、20分経っても来やしない。さすがに困ってもう一度レジに。よく聞いたら待つべき場所が別のエントランスだった。きゃー。ここで普通なら携帯使って仲間に連絡という話なんだけど、その携帯が無いんだもの! お店の人に公衆電話の場所を尋ねても、日本と一緒で今や誰も把握してない。やっとの思いで電話器を見つけ、唯一の命綱であるディック様の名刺を取り出して電話器にクオーターをガバガバ入れたら、異常に小さい音で音声ガイダンスが始まり、何か言ってるけどさっぱり分からない。そうこうするうちにも時間は無情に過ぎて行き、今回の渡米の最大目的「Acoustic Cafe」のリハ時間が迫って来たじゃないの! こうなったら仕方ない、誰かに助けてもらおう。ちょうど通りかかった子ども連れの若夫婦、二人とも肩にキレイな模様が入っていたけどそんなの関係ねー。すいませーん!とダメな英語で状況説明したら、よしわかった!とばかりにお父さん、公衆電話相手に奮闘してくれるも、やはりダメ。奥様がとうとう御自身の携帯を取り出し、ディックに電話してくれた。どうやらディックがこの奥様にジョークなどを言っているらしく、ムードがぐっと和み、モールのインフォメーションに行けばイイだろうという話になった。そうだ、なぜ最初からそれに気が付かなかったんだ!インフォメーションセンターのおじちゃんがタクシーを呼んで、あっと言う間に一件落着。人間、プチパニックに陥ると物事を冷静に判断出来なくなるんですね。斎藤、この歳になって身をもって体験してしまいました。ああ情けない。ああ遭難しなくてよかった。すべてはこの心優しい若夫婦、カニンガム夫妻のお陰です。住所を聞いたのでお礼に何を送ろうかと今思案中です。さて、会場に生還した僕をディックが見つけ、ゲラゲラ笑いながら近づいて来た。すると彼は“ムンクの叫び”のごとく両手でほっぺを押さえ、「オー、ディック、レスキュー・ミー!」と叫ぶのでした。とほほほほほほほほ。(つづく)
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さて、ライブのことを書きましょう。会場となったのはヒルトン・アナハイム2階のボールルーム。このホテル内だけでも4か所でライブをやっていて、一歩廊下に出ると色んな音楽が混ざって聴こえて面白いのです。「Acoustic Cafe」の会場は400人ほどのキャパで、客席前方には丸テーブルが並べられ、ここは楽器業界の関係者が座るようになっていたのかな?後方は普通にぎっしりとイスが並んでいたので、ここが多分一般入場者用だったのでしょう。隣りにこれと同じ大きさのだだっ広い楽屋があって、この日の出演者たち全員が自由にくつろいでいます。ポコのリッチー・フューレイや、名ギタリスト、エド・ガーハードが同じ楽屋にいて、食事したり、ライブの準備をしてたりするのがなんだか不思議な気分なんだけれど、なぜかそれも緊張には繋がらず、僕は終始リラックスしていました。そして嬉しかったのがケータリング。大好物のメキシカンだったのです。タコスやファヒータを出番前にバクバク食べて、ああ満足。あんまり嬉しくて料理をサーブしてくれたメキシコのおじちゃんに「POP ROCK SHOP」をあげちゃった。家に帰って聴いてくれたかな。夜7時、ライブが始まりました。 まずおオベーションを代表してマット・スミス、次に弦のメーカー、ダダリオ
からザ・ブレイザーズ、そしていよいよ我らがマーティン代表、ローレンス・ジュバー&ギター・ノアの登場です。ウッドベースとパーカッションを入れたトリオで4曲超絶プレイを聴かせたあと、この夜ただ一人の外国人アーティスト、Makoto Saitoが呼び込まれました。オレンジのサッパTを着て、いつもの感じでヘラヘラとステージに上がった僕、この時点ですでに上機嫌です。ここからは4人のステージ。まず「Little Wing」をやったあと、ポケットからわざとらしくメモを取り出し、英語MC。「このあとは日本語でオリジナルを歌います。とってもクリアな日本語でね!」とかなんとか言って笑いを取ってから「別に奇跡なんかじゃないから」を歌いました。そう、この歌が大成功だったのです。会場のみんなが歌に聴き入ってくれているのが分かりました。「あっ、伝わってる!」そう感じたのです。大きな拍手に包まれる中「あなたに逢いたい」に突入。ラーラーラーララと歌って、会場が一つになってきた。曲が終わった所で“昼間の恩人”ディック・ボークが乱入。彼がハンドマイクで「Don't Let Me Down」を歌って大いに盛り上がり、客席は遂にスタンディング・オベーションとなったのでした。みんなに好かれるディック・ボーク、本当に素晴らしい人物なのです。マーティン・コーナーが終了して楽屋に戻ろうとすると、大勢の知らないアメリカ人から握手を求められ、非常に照れる“外タレ”のMakoto Saito。同行した日本人スタッフたちは皆感無量という顔をしているし、、、おいおいちょっと幸せすぎるのではないか?はて、あれはみんな夢だったのかも? 興奮が収まらなかったのか、ただの時差ぼけか、僕の頭はベッドに入っても冴え続け、結局その夜は2時間も眠れなかったのでした。(つづく)2/5更新

3日目17日の朝、開場時間の10時前からNAMM SHOW入口付近で高校生のブラスバンドとバトントワラーたちによるマーチングが始まりました。ホテルの窓から華やかな彼らの行進を観ながらも、昨夜の感動はなぜかぼんやりとしていて、更に今日のブースライブへの緊張感もあまり無い。寝不足だけど眠くないという妙な気分で、あっと言う間にライブの時間がやって来ました。マーティンのブースはかなり広く、訪れるお客さんの多さからも世界最大のアコースティック・ギター・メーカーというのを実感します。ただ、その中の“ライブ・スペース”は非常に狭く、と言うか正確にはマーティン・ブースの壁の外に有って、ステージは畳み二畳ぐらいかな。そこに立つと目の前は隣りのアーニーボール・ブースの壁で、そこまでの幅が3メートルほど、、、つまり通路なのです。ストリートです。斎藤誠デビュー以来初の“路上ライブ”が何と異国の地になるとは。しかもそこに居るのはすべて音楽業界、楽器業界の人達。よーく考えると「えらい所に来たもんだ」なのですが、その実感の無いまま、一つ前のローレンス・ジュバーのソロステージを観ていました。大拍手の中彼のライブが終了し、少しインターバルを挟んでからいよいよセッティング開始。ローレンスのお客さんはもうすっかり居なくなっていて、最初は15人ぐらいだったかなあ。それでもまあ徐々に増えてくればいいし、、、なんて呑気なことを考えていました。英語の歌を歌うかオリジナルを歌うか悩んだけど、結局両方やることにした。そう、確か2曲歌い終わったあたりで様子が分かってきたのです。つまり自分の歌がまったく伝わっていないということ。アメリカという国で僕のような“外国人”がアメリカン・ロックの生半可なカバーをやったってやはりダメなのです。かといって日本語という“外国語”のオリジナル曲を続けて聴かされても、意味も分からず退屈なわけで、集まったお客さんは一人減り、また一人減り、僕の歌は道行く人の足を止めることさえ出来ません。予定していた30分を演奏しきることも出来ず、20分とちょっとで白旗を揚げライブを終了しました。最後まで残っていたお客さんは確か4人だったと思います。このあとNAMMの会場をもう一回りして取材などを済ませてから、ホテルの部屋に戻って一人いろいろと考えてみました。あの場所で何をやったらウケたたんだろう。超絶テクの速弾き?「サクラ」「スキヤキ」の熱唱?しかし考えつく何一つ、自分は出来ないのです。ついさっきの“惨敗”が、自分の“音楽のやり方”までも否定しそうで恐くてたまりません。そこで、窓の向うの遠い夕焼けを眺めながら、落ち込み続ける自分を少し慰めることにしました。そう言えば、最後まで観てくれた白人の女性(多分60代)の口がなんか言っていたっけ。確か「ステキなメロディーね!」だったような。僕はそれに対して「ありがとうございます。」をちゃんと言えたっけ?うん大丈夫。きちんと笑顔で言えたはず。そうだ笑顔で思い出した。昨日のライブを忘れてた。あんなハッピーも有ったんだ。この二つのライブ、結果は天と地ほど違うものだったけれど、両方を経験して本当に良かったと心から思う。人生、いくつになってもやっぱ勉強やねえ。こんなタイミングでもう一度自分と向き合うことが出来た僕はすごく幸せ者なのだ。変に有頂天になったりしなくてああ良かったー。あぶないあぶない。それにしても中身の濃い旅だったなあ。音楽って大きいなあ。(おわり)
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