大長編 〜 みちのくへの想い 〜
書 by Madoka Matsuki
〜 みちのくへの想い 〜
1
デビュー当時からFMで番組を持ったりしていて、月に1回は東北新幹線に乗って行っていたので、仙台は
かなり馴染みの深い場所だったはず。それなのになぜかライブが無かった。繁華街のど真ん中に、当時の事
務所がやっていた“Morning Moon”なんていうライブハウスまであったのに、そこでもちゃんとしたライブ
はやってない。ただ一度、そのお店のライブが休みの日に、たまたま客として店に来ていた斎藤誠が、どう
しても歌いたいと騒ぐので皆さん彼の歌を聞いてもらえますか?という突然のマネージャーのMCがあって
(今考えると強引なプロモーションだ)、まったく知らないお客さんの前でいきなり歌ったことがある。4、
5曲歌って、出来はまあまあ、ウケも良かったが、エライ事が起こった。予定外の行動にステージ上の照明
もライブ用のセッティングにしていなかったのか、頭上の照明があまりに低すぎて頭頂部を強烈に直射し、
頭が燃えるようにカアーっと熱い。ララル〜なんて歌いながら徐々に気が遠くなって来た。<つづく>
2
もうろうとした中、ふと客席を見ると妙にざわついている。そうかやっと私のこの状態に気が付いてくれた
のね、同情しろよと思ったら、どうもみんなの表情が違う。驚いてるけどウケてる。中には私の頭上を指差
して笑っているヤツまでいる。なんだよいったい!オレは新人だ、文句あるか。どうにかこうにか歌い終わ
り、ふらふらしながらステージを降りたら、マネジャーがいきなり「オイ、頭見せろ」と真顔で近寄って来
た。「なんで」と言ったら「お、おまえ頭から煙出てたぞ!」だって。まさか煙が出るほど髪(当時はタッ
プリ)が焼けた訳はなかったが、どうやら頭部全体の汗が熱され、湯気となって天井に向って真直ぐ立ち上
っていたらしい。そりゃあ観てる方も歌どころじゃないよな。冗談のようだがこれは実話だ。しかしそれに
しても髪があって良かった、今なら絶対救急車だ。さて、その次の仙台でのライブと言えば確か84年の公園
の特設ステージかな<つづく>
3
いや、あれは特設じゃないな。ちゃんとステージの形してた。ただしそれがコンクリートの打ちっぱなしで
むきだしになってる。確か東京の井の頭公園にも同じような“舞台”があったけど、とにかくカタい石の上
に立っている感じ。真夏の勾当台公園、その名も『夕涼みコンサート』。FMの公録なんです。しかしこの
頃の斎藤、デビューしたての蒼いバカだから、何をするのも嬉しくって大変。まずバンド(STR!X)の演奏
が始まって、そこで賑々しくアナウンスが入る。"Ladies and gentlemen ! Would you please
welcome !
From Los Angeles !(なんでや) MAKOTO ! SAITO ! 〜〜〜〜"って舞台の袖の影マイクで、私が叫んでんの。
夏の夕暮れ時の仙台市街、この“MAKOTO ! SAITO ! 〜〜〜〜”がコンクリートに反響して、悲しくこだま
し、いつまでも大空に響きわたるのであった。そしてライブの最後、よしゃいいのにこの男、もうひとつ叫
ぶのだ。“もいちど添、い、寝! 〜〜〜〜”。嗚呼涙!!<つづく>
4
そういえばこの頃、学生時代の友人の結婚式が仙台であり、披露宴で何か歌ってくれと頼まれた。初夏の仙
台、スーツにギターを抱えた一人の新人歌手がこの地に降り立ったのだ。ところが会場のホテルまでの地図
が非常に分かりづらく、道に迷って5分ほど遅刻してしまい、汗びっしょりでロビー飛び込むと、やけに人が
いない。あちゃー、もう始まっちゃったかと、 あわててフロントに会場の場所を聞いてエスカレーターを一
気に駆け上がると、そこに信じられない光景を目にしたのである。なんと籠がいた。エッホエッホのあのタ
イプじゃないよ、立派な重量感のある大名籠。そしてその周りには裃(かみしも)を粧った御家来衆だ。こ
っ、これは日光江戸村かあああ?<つづく>
5
一見大名行列の先頭に新郎新婦の後ろ姿が見えた。披露宴会場の扉のすぐ外、今まさに新郎新婦入場という
ところだ。と思う間もなく扉が開かれ、大きな拍手に迎えられて一団は会場に吸い込まれて行っちゃった。
扉の外でしばらくタイミングをみてからそ〜っと入って行って、どうにかセーフ。披露宴も中盤にさしかか
り、てんとう虫のサンバや詩吟や黒田節と盛り上がり、会場はまさに大宴会。どちら様もみな頬ほんのり桜
色。そんな中ついに「新郎の御友人でプロの歌手でいらっしゃる、、」という一番恐れていた紹介があり、
私は地味に“ララル”などを歌いはじめたのでした。しかし当然こんな聴いたこともない歌知ーらないとば
かりに会場の酒宴はさらに勢いを増し。一升瓶を持った真っ赤っかのおじさんが最前列のこれまた真っ赤っ
かのおばさんに「まあまあ一杯!」って、完全に私にかぶってるじゃん!。それでも歌い続ける私にこの日
の主役の二人だけがすまなそうな顔をしていたが、まあ何とも印象深い結婚披露宴、思い出は心の奥深く、
しっかりと刻みこまれたのでした。不思議の國みちのく!<つづく>
6
時代はちょっと新しくなって1989年、NHK-FMの公録で私と柳沢230と山根麻衣、山根栄子という実にピー
スな4人組で行ったことがある。この頃山根シスターズと毎晩のように飲み歩いていて、そのままのノリでへ
らへらと仙台入りした。この男二人女二人の組み合わせは、まるで10年もやってきたユニットのごとくまと
まりが良く、ハーモニーも最高。番組は大成功で、4人もこんな公録サイズのライブじゃやりたりないぞー!
と盛り上がり、当然そのまま打ち上げに流れた。ところがその入った店がスゴかったんです。めっちゃ哀愁
の、暗ーい旧カラオケスナック。ソファーやテーブルにオレンジや紫のライトがどんよりとあたっていて、
店の中央(と言ったって店全部で15畳ぐらいだよ)に高さ10センチほどのサークル状のステージがあって、
そこだけキラキラ、いやギラギラしている。我らはなんとその真横にステージを背にして座る格好になって
しまった。それでも人生何事も経験。これも旅ならではのシャレということにして、取り合えず目に入るも
のすべてにウケることにした。ところがそんなのてんで甘かったんだ。<つづく>
7
活気と言うものがゼロのそのお店、わずかとはいえ当然他の一般客もいるわけで、ソファーに座って飲むこ
と以外することのない我らは、ただひたすら心の中で祈っていた。どうか誰も歌い始めませんように! し
かしここはカラオケスナック。突然何の前ぶれもなく脳天を突き刺す爆音の演歌イントロ!! 泣きたくなる
ような貧相な照明の中、男の哀歌(ブルース)が始まったのでした。それにしても、いくらステージの真横
だからって、こんな音のデカさないでしょ!! 向かい合わせに座った柳沢230が完全にひきつった顔でこっ
ちを見ている。無理もないよ、だってヤツの背中のたった20センチ後ろでそのお客は熱唱していて、サビで
陶酔する度にその肘が柳沢の後頭部を小突いてる。そして極めつけ、突如柳沢の左肩の直ぐ後ろからアッと
驚くドライアイス噴射!やがてそれは柳沢230のからだ全体を包み込み、そのまま彼を霧の向こうに連れ去
って行ったのでした。さすがに私達もこの事態を深刻に受け止め、河岸を変えることにしました。そして向
ったのがあの“アマゾン”というお店(残念ながら2001年9月に閉店)です。<つづく>
8
定禅寺通りに面したビルの3階、初めて行ったそのお店は、その後私にとって特別な場所になります。それま
でどちらかと言えば印象の薄かった仙台が、この“アマゾン”の発見によってすっかりイメージを変えたの
です。カウンターと小さなテーブルが三つという小さな小さな空間に、音楽好きの仙台人が集ってどこかハ
ッピー。干渉しないマスターの名は半沢さん。どうやらみんなこの人が好きで集まってくるようだ。我々4人
はこの楽しい雰囲気にすっかり浮れてしまい、またしても馬鹿かというぐらい飲んだ。帰り道、歩道脇の植
え込みに何回も転倒しながら、またすぐこの素敵な街に来てライブをやるぞ!と冬の夜空に叫んだのでし
た。しばらくして1990年秋、7thアルバム『笑顔にご注意。』のプロモーションで再度仙台を訪れたおり、
“アマゾン”で半沢さんにライブの話をしたところ、「そんなもんウチでやりましょ!」と言うから、え
っ?ここで?とあせったら、「会場も借りますし、客も集めます。ちゃんとしたライブです」だって。冗談
だろうと思って周りのお客さんの顔を見ると、やろうやろうとみな頷いている。飲み屋のマスターの半沢さ
ん、一体この人はどういう人なんだ!<つづく>
9
さてだんだん自分の見る仙台が変わって来た。みんな楽しいじゃん、みんないい人じゃん、話聞いてくれる
じゃん、ってね。そう、アマゾンに通っているうちに、斎藤だんだんいい気になって来た。ある日気が付く
と、私は店のカウンターの中でシェイカーを振っていた。バーボンにやられて完全にダメになっている。さ
んざん調子よく図に乗ってはしゃいでいたら、突然睡魔に襲われ、そのカウンターと背中の壁の間の狭い隙
間にしゃがんでしまった。その後は寝ていたのだからもちろん記憶はない。夢の中で誰かが呼んだ。「おい
斎藤、そろそろ帰るぞー!」(あれはいったい誰の声だったんだろう?)。「ふあ〜い」と重たい体を起こ
し立ち上がろうとした瞬間、何か口からあったかいモノが飛び出した。あれっなんだ?と思った次の瞬間、
一気それは噴出し、せまいカウンターの中はまさに阿鼻叫喚のるつぼ。そのまま途中途切れることもなく、
結局胃の中のすべてを絞り出した。私の人生始まって以来の不祥事、最悪の夜となって行くのである。ああ
もう書くのやめよっかなあ、、、<つづく>
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この日、誰と一緒だったかさえ思い出せない。ただ覚えているのは、お店のスタッフやそのお友達たち、特
に女性(天使のようだった)が一斉に動き、敏速に事態に対処し、まだその最中なのに私のシャツを拭いて
くれたり、背中を摩ってくれたり、、、、つまり斎藤、感動したんです仙台の人情に!。とは言ってもそれ
もこれも次の朝ホテルで目を覚まして、事の重大さを自覚した後でですけどね。ただこれだけは言いたい!
私、1991年のこの悪夢の夜以来現在に至るまで、一度たりとも同じ間違いを起こしておりません!吐いてな
いぞスゴイだろ!、、、、反省してます。後で謝りの電話を半沢さんに入れたところ、彼は電話の向こうで
高らにかっかっかと笑いながらこう言ったのです。「誠さんはヤッパすごいね、新品のボトル数本に見事命
中してましたもん!やるなあー」、、、私はしばらく寝込みました。そして6月、いよいよアマゾン主催の仙
台ライブの日がやって来ました。 ここで名誉挽回しとかないと、もう一生仙台に迎えてもらえないぞと何度
も肝に命じ、まずは元気200パーセント、気合いの挨拶から。「どうもこん晩わ、斎藤誠ですー!」、 その
途端会場のどっかから「そう!ウチでゲロ吐いたまこっちゃん!」 やっ、やられたあ。くっそー、な〜ん
てイイ人なんでしょうね、半沢のおやじ! ちきしょー!<つづく>
11
この時のライブは函館、札幌とまわって来て仙台というツアーで、ゲストに山根麻衣を迎えての大充実ステ
ージ。カバー曲も何曲かやった気がする。終わってスタッフ全員(とは言ってもみんなお友達)とステージ
上で記念撮影。昨日久々にその時の写真を見たけど、なんかきれいな女の子が多い。あれから9年、今度の
6月2日、果たしてあの天使達は来るだろうか。ライブは半沢さんとその仲間たちのお陰で大成功。半沢さん
の細かい心遣いには、ただただ感謝するばかりでした。それからしばらくして、あのウィンタースポーツの
地として名高い“宮城蔵王”の中腹にもうすぐオープンするというログハウスから、オープン記念にミニラ
イブをやってくれないかと、かなり異例な話が来ました。あまりにも唐突で、しかもローカルな話だったの
で一瞬なんで? と躊躇したのですが、その催しの主旨を聞いて“これは絶対やらなくちゃ”と心の奥深い所
で感じ、お引き受けしました。有志が集まって丸太一本から手作りで築き上げたログハウス、それは障害者
と健常者が一緒にくつろぎ、自由に宿泊できるという施設でした。<つづく>
12
蔵王には柳沢230と2人で行くことにしました。当日が迫るにつれ、だんだん気が重くなってきました。偉そ
うに使命感に燃えたような気になって軽く引き受けたけど、いったいこの自分に何ができるだろうと。第一
そういう特別な場所で自分の歌なんて通用するのか?まてよ、そもそも初対面の人にとって有名でもない斎
藤誠って何だろう?心はどんどん狭くなっていきます。そしていよいよライブ。当然のように大緊張で始ま
りました。だってそこはステージも照明も何もない普通のリビングで、目の前に車椅子の人や目の不自由な
人、そしてどうやら耳の不自由な人までいるじゃん! よーし!一曲終わったところでわしゃハラをくくっ
た。「I sing my SONG FOR YOU」の曲紹介をたっぷりとやることにした。どうして恋というものは素直に進
まないのか、どうして男と女は恋をして馬鹿になって嬉しいのかっていうような、普段いつも考えているよ
うな話をそのままね。そしたら何かめちゃめちゃウケた。これでいっぺんにいい気になった歌手は、いつも
のように230をこきおろしながら歌う歌う。ライブはあっという間に終わった。なんかいいことしたような
浮れた気分でログハウスを出ようとした時、何人かの人に握手を求められた。喜んで、と握ったその手は私
の手と違う形をしていた。付き添いのお母さんが、深々と頭を下げる。浮れた歌手は言葉が無くなっていま
した。<つづく>
13
やがて自分がいくつもの考え違いをしていたことに気付くのです。まず障害者と健常者が一緒に遊べるこの
施設を“特別な場所”と決めていたこと。また、このライブの内容を練る時、いつもと違ったメニューとお
しゃべりを考えていたこと。そして何とか無事にすべての曲を歌い終わった時、それなりの達成感と満足感
まで持ってしまったこと。その晩はそこから車でちょっと走った大草原のちいさなペンションで、遠くから
ライブに来たお客さん達と一緒に食事をし(仙台から半沢さんも来てたっけ)、一緒に泊まりました。先程
の親子とは次の朝洗面所で再会。体が不自由で歯磨きをいやがるその大きな子供に、お母さんがじっと付い
て教えています。私は自分のゆるい生き方に動揺していました。恥ずかしく思いました。でも何も答えなん
か見つかりません。目がさめた訳でもない。ただ大切な経験をしたことだけは確かです。自分を、そして自
分の歌を見つめ直すきっかけになったような気がします。それからしばらくして東京の西武劇場で障害者を
中心にしたイベントがあり、今度はたった一人、弾き語りでゲスト出演しました。落ち着いていつもの自分
の歌が歌えるようになっていました。ただただ普通にやったんです。蔵王で逢った皆さんに感謝しました。
ありがとう。私も頑張ります。<つづく>
14
さてせっかく深い話になったのに、またまた間抜けなお話をお聞かせしましょう。時はぐっと新しくなって
1996年。5年半振りの新作『Dinner』のプロモーションは文字どおり全国行脚の旅でした。常にギターを抱
え、日本中のラジオ番組で生歌を披露。様々なシチュエーションのもと、「今 僕を泣かせて」など歌いまし
たが、今考えても信じられないセッティングが二カ所ありました。それが両方ともこの“不思議の国みちの
く”だったのです。まずは秋田のお昼の番組。気が付くと私は局の中継車に乗せられ、市内各所で降りては
その場所の風景や、今日のお天気などについてコメントしていました。もちろんすべて生中継。そしてそろ
そろ正午という時に始まったコーナーが“今週のカツ丼”。中継車から市内の某食堂にいきなり電話して、
飛び込みでお店に行くんです。局アナの女性と私がうまくもないカツを一口食って「うーん美味しい!」、
「これはジューシー!」なんて生番組でやるわけ(まったく、たいしたミュージシャンだろ!)。ようやく
コーナーが終わったと思ったらアナが、「さあラジオの前の皆さん、この後2時から市内○○公園で今カツ
丼を御一緒した斎藤誠さんのライブがございます。ぜひいらして下さいね!」ってスゴイでしょ! 事前に
告知なんか何もないのよ。いきなりよ。まっぴるまよ。しかも普通の公園よ。 ああだからどうだって言う
んだ、斎藤も男だ。行きましたよ。<つづく>
15
その公園に到着すると番組のディレクターが車から小さなギターアンプを降ろし、おもむろに地面に置きま
した。いやな予感がしましたが、やはり予感は的中。これでセッティング完了!だったのです。ギターのシ
ールドもマイクもいっぺんにコイツにつっこんで、ライブをやれということです。PAなんか無いの。こんな
こと中学生以来だぞ。お客さんはというと、通りがかりの高校生やおばちゃんたちでした。全部で10人ぐら
い。ハトの方がよっぽど多く集まってくれたなあ。でもね、でもやるんだよ!この斎藤という男は!昼の2
時に秋田の公園でハトを相手に歌う「今 僕を泣かせて」。どうです、泣けてくるでしょ。しみるでしょ(ま
ったく、たいしたミュージシャンだろ!)。ところ変わって、次は仙台のテレビ番組。向った先は市内繁華
街、どっかのお店の中でVTR収録というから、こぎれいなカフェかなんかを想像していたら、連れて行かれ
たそのお店、名前は「ナース専科(仮名、でも限り無く実名に近い)」。ピンクの超ミニナースのコスプレ
風俗店だったのです。ココでいったい何するっての!<つづく>
16
今、その時撮った写真を見ています。ホントの病院では絶対あり得ない異常な程のボディコンシャスと短さ
のピンク着(白衣ではなくて)を着た女性4人に囲まれ、一見嬉しそうな私がいます。でも良く見ると目の奥
が笑っていません。それもそのはず、なんとその状況のまま1曲歌ったのですから。窮地に立たされた斎藤
はいつも強いのです。持ち曲を歌ってと言われたけどそれは丁重にお断りし、代わりにスクリーミン・ジェ
イ・ホーキンスのカルトブルース「I Put A Spell On You」を歌ってやったぜ、これでも食らえコノヤロー!
何者かもまったく分からないその女性達と、いかにも深夜番組向けの軽〜いトークをこなし、収録後一応こ
の番組のタイトルを聞きました。『あそこTV』とのこと。まったく、たいしたミュージシャンだろ!でもや
るんだよ! おっと少々感情的になりました。 いよいよ次回最終回、名誉挽回します。<つづく>
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みちのく東北ではもっともっと色々なことがありました。でもこれだけお世話になっておきながら、やはり
関西や名古屋ヘ行くような気軽さはありません。とても敷居が高いのです。その理由はたったひとつ、ライ
ブをやっていないからです。東京、名古屋、関西、そして広島、札幌などは、行く前から待ってくれている
ファンのみんなのことを実感出来て、それだけでわくわくしますが、仙台はそうはいきません。長い間ずっ
と大きなハードルでした。しかしついにやって来ます、6月2日仙台ライブ。学園祭やイベントなど、またア
コースティックセットでは過去に何度かやっていますが、バンドでの完全なソロライブというのは、多分デ
ビュー以来初めてです。今回のライブ、昨年末の2000GTR-Fのおり、キョードー東北の和泉さんに直接相
談して決めました。そしてアマゾンの半沢さんが動いてくれました。考えてみるとここ2年ほど、自分の音
楽を励ましてくれる仲間が全国にぐっと増えた気がします。6月2日はそんな人達みんなに感謝しながら歌お
っかな。そんな余裕ないかな、、。とにかく今回のライブ、“みちのくハードル”を越える大きなチャンス
と考えています。えっ?越えられなかったらどうするって?でっ、でもやるんだよ! そして6月、身の回
りが大きくかわります。その為にも幸先良いスタートを切りたいもんね。
<おわり>
おとといwowowで91年モントリオール・ジャズフェスでのチャド・ワッカーマンの勇姿を見た。久々にあの超絶ドラミングを目の当たりにして、あらためて感心してたら、今日はなんと90年のグレッグ・マティソンだった。ラリー・カールトン・バンドのメンバーとしてめちゃめちゃパワフルなコードワーク。すごい! 当然1989年1月14日の有明エムザの“Mah Mah Mahレコーディングライブ”を思い出していた。あんな強力な人達とやったんだっけ。(89年1月14日の有明エムザの“Mah
Mah Mahレコーディングライブ”を、御覧になった方がいらっしゃいましたら、是非あの時の印象をメールしてください!自分でやったステージの中で、もっとも客席にいたかったライブなんです。)00/5/26
アマゾンの半沢さんに電話した。機材の最終チェック。いろいろ無理を聞いてもらっているだけに、ただただ恐縮するばかり。6月2日、半沢さんにアハハと喜んでもらうことも今回の目的だな。よし見てろ、やるぞー!笑かすぞー5/27
某アーティストに思いっきり70'sポップロックな曲を2曲書いたら、彼女めちゃめちゃ喜んでくれた。これから彼女が歌詞をのせるのだが、それで思い出した。去年函館のライブが始まる直前、携帯が鳴るから出ると、彼女が歌詞のはまり方について質問して来てビックリしたことがあったっけ。今年もバックページの楽屋で着メロが鳴るのだろうか。5/28
いよいよ明日はリハだ。3月のフルメンバーライブ以来の集合。タイコのカースケはこのセット初めてだから、特に盛り上がってくれている。嬉しいぞ。それに久々にでかい音出せるから楽しみだな。これが終わるとバンドスタイルのライブはしばらくないから、思いっきりあばれてしまおう。仙台の皆さん、はち切れる“野放しフォー”をお楽しみに!5/29
この一体感は何なんだ!今日のリハで私は何度も思わず目を閉じてしまった。メンバーの“あうんのプレイ”をしばし聴いていたかったから。サウンドに浸っていたら、突然柳沢230がスタジオに顔を出した。そうなればリハ終わりで当然飲み会。飲みながら何で柳沢は仙台に来ないんだという話になった。来ればイイじゃン、そうだよやろうよ、一緒に盛り上がろう!・・・・この調子だと今回の仙台ライブ、“野放し紀行+(プラス)”に変更かも?!5/30
柳沢二三男参加が正式に決まった。ホントに嬉しい!ただヤツはまだリハに参加していないのだ。明日最後の1回に来るだけ。でもね、こういう土壇場の変更ってのは必ず良い緊張感を生むんだ。ライブは本番でどうなるかわかんないから面白いんじゃない。とは言いながらあいつの事だ、ちゃーんと練習してくるんだろうなあ。5/31
リハ終了。柳沢のヤツ、1回のリハでOKを出しやがった。やっぱ凄いなあの男は!そして今日、角田のソロが火を吹いた。余りの迫力で一同のけぞった。深町さんのおファンクもどとまることを知らない。カースケの音はだんだんでかくなってきているような気がする。さあどうしよう私。とにかくイッテマイリマス!6/1
やって参りました仙台!東北自動車道は途中一瞬の豪雨でビックリしたけど、その後は素晴らしいドライブ日和。ジェフ・バクスターのギターなど聴きながら快適な5時間でした。アマゾンの半沢さんのすすめで美味しい山菜料理にありつくことも出来、明日に備えて今日は早めに寝ます。6/2
9年ぶりというのにこのノリは一体なんなんだ!こんなに待っていてくれたなんて、私の読みが甘かった。メンバー全員が感激していた。たまたま鈴木雅之さんのツアーで来ていた成田さんも合流して、新しい事務所アロハ・プロダクションズのスタッフとも結束を高めた。今年を最高の年にする私の心意気を暗示した、とてつもなく元気なライブだったと思う。そう、今日ばかりは客席の皆さんの熱さに負けないライブが出来たと確信しています。新しい出発を気持ちよくさせてくれたファンのみんな、本当にありがとう!ちょっと今、酔っぱらい過ぎて、気持ちが高まり過ぎて、言っていることが支離滅裂だけど、ここは一つ許してね。明日冷静になってからもう一度書くから、堪忍してね。とにかく今日は本当にありがとう!心から感謝しています。6/3 5:17am
なんだ、昨日べろんべろんだったわりにはちゃんと書けてるじゃん。ただね、上の文章、書いたことは覚えているけど、内容は全然記憶にないの。つまり完全にアルコールがしゃべっている。でもそれだけに言葉がストレートで熱が伝わってくるなあ。さて回収したアンケートを読みました。9年間待っていてくれた仙台の皆さんの言葉はどれもあったかかった。もう大丈夫、これからはどんどん行きます。こうなるのをずっと夢見ていたのですから。今度はネブラスカで行きたいな。なるべく早くみんなの笑顔を見に行きます。本当にありがとう。これからもよろしくね。00/6/4
「 東 京 野 放 し 紀 行 2 」
1999年10月5日(火)
吉祥寺STAR PINE'S CAFE
無事終了
1999年10月9日(土)
渋谷CROCODILE
無事終了
1999年10月14日(木)
高円寺JIROKICHI
無事終了
「 神 戸 → 広 島 野 放 し 紀 行 」
1999年11月2日(火-祝日の前日-)神戸チキンジョージ
無事終了
1999年11月3日(水祝)広島オーティス
無事終了
「 名 古 屋 野 放 し 紀 行 (追加公演)」
2000年1月29日(土)
名古屋TOKUZO
無事終了
******** 東京野放し日誌 ********
Drs、B、G、Key の 4 Rhythm はバンドの基本だけど、実は斎藤、経験したことが無いのだ。
高校の文化祭以来の編成かもしれない。初めてのくせに“あんな曲”や“こんな曲”を敢えて
やろうってんだから、やっぱり私も懲りないバカ。そうだ!“あんな曲”は16年振り、、、、
じゃなくて正真正銘初めてだ!! 99/9/24
初日のStar Pine's Cafeはソロとしては初めての場所。天井が高くって音的にはやりやすい
かも。そう言えば去年、同じ吉祥寺のWAVEでやったインストアー・ライブは妙に盛り上がっ
たなあ、、、ああなるといいな。Star Pine's Cafeって近鉄デパートの裏だったかな。 9/25
本日9時間リハ強行!スタジオが男くせー!ロックくせー!グルーブくせー!
ライブ初日まであと1週間ちょい。何とかそれまでに洗練された都会的紳士たちに
ならなくては、、、だっ、だめだ、無理だ。 まっ、しょうがない、みんな野獣だ。 9/26
しかしギターが一人ってのは忙しい。休みが全然無いんだもん、弾きっぱなしだ。
この間までは三人いたからなあ。 9/27
しかし今回のメンバー、三人とも楽器が良くしゃべる。PLAYの個性が強いんだ。間違っても
“バックミュージシャン”なんかじゃない、こりゃバンドだ。まず吉祥寺は大爆発確実だな。
特に成田さんは初日本番で大炸裂というという統計的データが、、、 9/28
1週間を切ったなついに。ところで吉祥寺はまだチケットけっこうあるんだって。なーんだ
当日でもオッケーね。でもあんまり早くから列ばれるとリハの音でやる曲バレちゃうなあ 9/29
発表します!。現在今回のツアーグッズ“野放し紀行Tシャツ”を猛スピードで製作中。
今度のはイケてます、かっこいいです、渋いです。乞う御期待!
ただ吉祥寺に間に合うかどうか微妙なんだなこれが、、、 9/30
遂にその全貌を現わした「ラブチェアーに陣取る“野放しフォー”」こっ、こわい!10/1
10年振りの「東京野放し紀行」がいよいよ目前に迫ってきた。もうリハも終わったし
完全に高まってきたぞ!今日久々に週末の街に出たが、若者は相変わらず力がない。
吉祥寺の若者は全員S.P.Cに来い!楽しさの基本を教えちゃる。 10/2
やった!Tシャツが間に合った!! さあ地味に売るぞー(ライブは派手)
10/3
19:30ライブスタートです。出来るだけ騒ぐように!!
10/4
初めての吉祥寺、楽しませてもらいました。何か途中からおもろくておもろくて
笑いが止まんなくなっちゃったのだ、ゴメン。次のクロコはもうちょっと真面目に
やるから我慢してね。来てくれた皆さん、ホントにホントにありがとう、
感謝します。 10/5
昨夜はこれを書いてる途中でウトウト、アンケートを読みながらウトウト
それでもクロコへのアイデアをひねり出そうとしている内に午前5時。
疲れていても興奮している私です。 10/6
今度の「ハラダ記念日'99」 は大変くだらなくて好きだ。本日完成しました。
私、暗〜く泣きながら歌ってます。プロモビデオでも泣いてるんだから。
さてクロコは前半後半に分けなきゃいけないから、もうちょっと悩むとするか。 10/7
20:00開演だけど、お客さんは何時頃来るんだろう。当日売りのみのライブって
久しくやってないからなあ、、、クロコはトイレもお客さんと一緒なんだよなあ、、、
おっと緊張して来たぞ!よしよし。今日こそみんな騒ぐように!
今夜は凄い事になるだらう。 10/8
いやあ幸せ者だ。あんな瑞々しいみんなの前で歌えるなんて。
お客さんみんなが一つになってた。みんな歌ってたもん。
今回古い曲多めなも良かったのかも。ああ気持ちイイ。
これだから止められないって言うんだ! 10/9
子をおんぶしたバッタがいた。親は壁と同じ色になってたけど子は薄グリーンだった。
もっと良く見ようと近付いたとたんジャンプした。
おんぶのまま見事に着地していた。 10/10
涼しくてあったかい、一年中でこんな日が一番好きなんだ。
さあJIROKICHIモードにスイッチが入った。あそこはドラムの音がどこよりも良い。
まさに今回のラインアップにぴったり! 最高。でもお客さんがどこよりも近いんだっけ、
つば飛んじゃうよ、緊張するなあ!! 10/11
JIROKICHIは10年振り。まさに前回の“東京野放し紀行1”以来の出演だ。
そしてこれが東京最終日。もうガンガン行っちゃおっと。つば飛んじゃうな。 10/12
なんか暑いな今日は、汗ばむじゃないか!ひょとして明日も暑いの?
おお上等じゃねえか、それどころじゃないライブにしてやらあ!
え?、、、、なに夕方から雨? 皆様、桃太郎寿司の前でお待ちしております。10/13
今夜の“野放しフォー”は最高だった! 後半はまさにディスコティック、
会場の全員が揺れてたね。しつこいけど音楽やっててホントに良かった、あんな沢山の
笑顔を見られるんだもん。東京はこれで終わりだけど、また来年2月の終わりか3月に、
今度はいよいよフルバンドのライブを予定しています。それまでみんな
良い音楽を自分の耳でピックアップして(今の時代これが中々大変なんだけど)、
豊かで幸せな感性(自分が本当に気持良くなる感覚)を磨いておいてね。
今日はホントに楽しかった。心からありがとう。 99/10/14
******** 神戸→広島野放し日誌 ********
明日から名古屋→札幌へと行って来ます。夏の『トリオ・ザ・ネブラスカ・ツアー』で
お世話になったかたがたに改めてごあいさつしてまいります。特に名古屋はまたまた面白い話
になって来ているので、来年の打ち合わせもかねてね! あっ、えっと、2000GTR-Fのトーク、
ヤックと二人で沢山してきます。 神戸まであと8日!! 待ってろ関西!! 99/10/24
二人でキャンペーンってえのは本当に愉快ですな。今日はドラファンの八熊君が大当たり!
そして私も名古屋の皆さん限定の新情報を発表。帰ってから正式にお伝えしますね。10/25
昨夜は5時まで飲んでたのに、10時には起きて中野さんのお兄さんにごあいさつ。
夕方札幌到着。おい寒いなあ。夜は江端さんにごあいさつ。そしてやっぱり明け方まで。 10/26
いやあ3日間よくしゃべった。八熊君との親交も深まった。食べた飲んだ眠かった!
ところが帰りの飛行機が“大雨積乱雲気流悪し”で羽田に中々降りられない、嗚呼ダーク!
このまま関空に行くのかと半ば諦めかけたところで、おっと無事着陸。2時間半も飛行機に
乗ってたのでした。11時半やっと帰宅。さあ明日から野放しモードだ! 10/27
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/HITandRUN/HR/2000gtr-f/staff/991023-991025.html
↑とにかく行ってみて!3日間の私がホントに沢山います。↑
角田とカー助がサポートしてるって言うんで行って来ました、「Eric
Clapton Tribute Live」。
柳ジョージさん、Charさん、野村よっちゃんらが売却されたE.C.のギターを使って
気持ち良さそう。さあ我らの“エリック・先輩・クラプトソ”は何をやってくれるんだろう!?
神戸、広島の皆さん、来週私も演るからねE.C.の曲。待っててね! 10/28
良く考えると、神戸チキンジョージでのバンド形態ライブは実に5年振り!しかも今回の
全ツアー会場の中で一番広いのだ!当然ステージも広い。いいぞいいぞ、歌い倒すぞコラ!
おっと、次の日休みじゃん!! みんな事前に一杯ひっかけて来い!ライブ中は野放しだから
くれぐれもだらしない人格になるように! 10/29
近付いて来たぞお! なんつってもライブの多かった今年“最後の2本”なのだ。本来なら
クリスマスライブとか、年忘れライブやって、来年もよろしく!なんだろうけど
今年はそんなスケジュールまったく取れない。だからこの2本に気合いが入るんだ。
ライブの最後に「良いお年を!」と叫んでやる。 10/30
夕陽の交差点が溜まりに溜まっちゃって、やっとの思いで更新。ライブの感想メールがほとんど
なんだけど、今週来る人に内容は明かせないから、細かくチェック!チェック!チェック!
& カット!カット!カット! ホントは全部載せたいんだけどね。 10/31
来ちゃったよ来ちゃったよとうとう。関西と中国地方でこの私を待っている見上げた根性の
ファンの皆さんに告ぐ!今回はまん中にトイレ休憩のある2部制である。
みんな1部が終わったら、すぐにトイレに飛び込むように!ビールを飲んでる人は特に注意。
“まだ入ってるかなあ〜 ”と気になる私は、なかなか2部が始められないのだ。もたもたして
るとトイレまで呼びに行くぞ!ライブは中身全部を観てもらえないと嫌なんだ私は。 11/1
チキンに集まってくれた皆さん、遊んでくれてアリガトー!
何回か別の場所に行ったっきりになりそうだったけど、付いて来てくれて恐縮です!
ところで、ねっ、やっぱり最高のメンバーでしょ!11/2
狭くてサイコー!足下と天井、両方チェックしながらジャンプしたの初めてだもの。
楽屋が歩道ってのも凄いじゃないの!オーティス万歳。最終日を終えた“野放しフォー”、
あの後4時まで飲みました。でもいつものアホまるだし打ち上げにはならず、どういう訳か
“斎藤誠”という音楽のやり方ついて語り合いました。メンバーと今回ツアーに同行して
くれたチキンの橋川さんが、どうやったら斎藤誠をもっと多くの人に聴いてもらえるかと、
静かに論じ合っているのです。なんて仲間なのでしょう!もちろん簡単に答えなど出ませ
んが、短い睡眠時間を更に削って私の事を考えてくれるみんなに、“HELP”などではない
本当に純粋な“力”を感じました。
続けるためにいろんな“力”を借ります。何にもかえられない皆さんの“力”、
今夜の皆さんの“力”をまたお借りすると思います。
STAR PINE'S CAFE、CROCODILE、JIROKICHI、CHICKEN GEORGE、
そしてOTIS!で逢えた皆さん、ありがとう。ありがとう。 99/11/3
******** 名古屋野放し日誌 ********
先日2000GTR-F名古屋公演の際、ぶらっとTOKUZOに飲みに行って来ました。夏のトリオ・ザ・ネブラスカ以来でしたが、
なぜかとても懐かしく感じ、またステージを見ては1月のライブを想像して、ひとり武者震いをしたのでございます。
あのステージなら「野放し紀行」にぴったり。メンバーもきっと気に入ってくれるでしょう。99/12/26
毎日違うアーティストのスタジオで頭が混乱して来た。気が付くとでかいコンソールの前に座って「おはようございます」。
大丈夫か斎藤!まあ逆境には強い方なのでこれをオカズにしてライブにのぞもう。そう、私は名古屋と長野が楽しみでしょうがない。
早く歌いたい。しつこいと言われるほどギターを弾きたい、いや弾いてやる! しかし人集まるのかなあ? いや集まる!
さて昨日、角田、カースケ、片山、成田さんといういつもの顔を集めて、某アーティストのレコーディングをしました。
もうスタジオがうるせー!!
00/1/14
久しぶりにおさらいしようと思って、去年のJIROKICHIのテープを聴いていてふと気が付いた。
今年まだ人前で歌を歌っていないじゃない!しかもここんとこスタジオにこもってばかりで、かなりタマッているのだ。
29日はちょっと暴れちゃおっかなあ。1/20
SUPER GRASSの“Mary”を買った。ずっとCD屋にも行けなかったのでとても嬉しい。
BEASTIEのベストも買ったしFIONA APPLEも買った。元プリもやっぱり良かった。でも一番かっこいいのは、
うちの先輩達の今度のシングルのカップリング曲だ。お先に聴かせてもらいました“通りゃんせ”。 1/21
ライブ前日メンバー3人とも横浜フライデーで南條ソウルバンドのライブなのだ。終わるのが午前1時頃だろうから
彼らは睡眠時間との戦いだ。えらいハードな2日間だなあ。ひょっとして当日のアフターライブで元気なのは私だけ?1/22
前回夏のTOKUZOライブの時、ここはバンドでもきっとイイ音に違いないと思った。お店が全体にウッディで、ステージの後ろの
壁なんかまさにウッド! ドラム、ベースがどんな鳴り方をするかがとても楽しみだ。 1/23
TOKUZOのページを覗いたら、前日がなんとZAPPAバンドの超絶ギタリスト、マイク・ケネリーのライブじゃん!
ああ前乗りしたい!! でも諸処の事情でダメなのだ。彼は1988年FRANK ZAPPAの最後のワールドツアーに
我らがチャド・ワッカーマンと一緒に参加した人物。 1/24
中野督夫さんのお兄さん、雅夫さんに電話した。名古屋の音楽界で知らない人はいない大人物。今回はメンバーに督さんがいないにも
かかわらずお世話になってしまっている。このページの最初の方に書いた、チケット発売所の“その他”のうちの一つは雅夫さんの
素敵な喫茶店(レストラン?)「Stay」 なのだ。底抜けに明るくて豪快な雅夫さん、彼自らのクッキング!とてもとても美味しい。
雅夫さんチケット売ってくれてありがとう! 1/25
今回も力を借りるローディーの野元洋平は、もう10年来の付き合い。困った時いつもそばに居てくれる頼もしい男。
彼にとっては名古屋までの運転なんて軽い散歩のようなものだろう。昨年の広島の時はライブ中にもサンタ帽で登場した。 1/26
久々に“野放しフォー”、リハで集合。2ヶ月半振りなのに忘れてないもんだなあ。しかし突然WAHが壊れた。明日買いに行こっかなあ。
リハ終了後ドラムのカースケに会った。早くも3月のフルライブの内容について、2DAYSどれだけ曲をダブらせずにやれるかを話し合う。
帰りに名古屋頑張って!と言われた。1/27
さあ明日だ。歌わせてもらおうじゃないの!弾かせてもらおうじゃないの! 明日のライブは前半後半の2部制で、
真ん中に2〜30分のトイレ休憩。名古屋及び中部地区の皆さん、トイレは前方ステージ横です。
くれぐれも開演前に1回済ましておくように。そしてどうせビール飲むんだから休憩時間にもう1回!
じゃないと行く度にステージ上の私と目が合っちゃうよ。皆さんTOKUZOでお待ちしております。 1/28
実は始まる前、ちょっと心配していたのです。“Mr.名古屋”の出ないライブで本当に人が集まるのかって。
だからステージに出て客席を見て嬉しくなってしまいました。しかもとてもホットなお客さま。ああやって良かった。
後半、やはり私はぶっ壊れていきましたが、メンバーひとりひとりもフルにライブを楽しんだようで、みんな満足そうでした。
来てくれた皆さん、あったかくなった?踊れた?笑えた? ステージ側からは沢山の笑顔を見ることが出来ました。
本当にありがとう。やはり私は幸せ者だ! 「野放し紀行」は無事終了いたしました。00/1/29
...と思ってたら決まっちゃったぞ仙台!!
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